白山神社HakusanJinja

= 記 =

 当白山神社創建の年代は詳でありませんが、御神体として祀られている木造の神像七軀は遠く平安時代(一一八〇)に遡る作と評されて居ります。

 古い時代より神前において五穀豊饒・家運の隆昌・子孫の繁栄が祈願されていたものであることが理解されます。

 近代に入りましては江戸時代の初期元和四年(一六一八)霜月十回と錄された当社の棟札には柚木領落合村を支配していた八王子代官小宮山八兵衛助為が大旦那となつて永福寺別当僧圓能に村人が助力して加賀・白山大権現の神霊を勧請した次第が明らかにされて居ります。

 新編武蔵風土記稿に「古は社司蓮善坊と云山伏なりしが慶長の比、東福寺この地に移りしとぞ東福寺は昔上落合堀合堰と云所にありといへり、今白山神社の西に在り」と伝えて居ります。

 唐木田・中組・山王下・青木葉・上ノ根を云う五字の鎮守として祀られて居ります。

 この地は府中より鎌倉に通じる相模道に面した静かなたたずまいではありますが慶安(一六四八)年中に御朱印十石を賜わるなど歴史的意義を秘める神社であった訳です。

 今回の造営に当りまして社殿は白山大権現の象徴である本殿・拝殿一体構造の権現造りです。

 これはニュータウンと云う最新の景観に古い様式を巧に用いて神社の尊厳と祖先からの伝承を調和させようと意図したものです。

 祭神はイザナギ・イザナミの二神です。